【ぶらリ散策】


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★深い有田
こだわりの道コース


【泉山磁石場】
泉山磁石場 日本で初めて磁器の原料となる陶石が発見されたのは、17世紀初頭。豊臣秀吉の文禄・慶長の役の際に、朝鮮から連れて来られた陶工・李参平によってでした。有田を支える貴重な資源である「石場」は、江戸時代は皿山代官所が、明治に入って有田の窯焼き(陶磁器製造業者)が厳しく管理。明治30年(1897年)頃までは年間12,000トンもの陶石が掘られていました。

【石場神社・李参平像】
磁器製狛犬 磁石場のすぐ近くには、登り窯をイメージしてトンバイを利用した先人陶工の碑があります。これは、磁器の町有田の発展を支えてきた無名陶工の霊を祀り、有田焼創業350年を記念して建立されたものです。そこから少し坂を上ると石場神社があり、小さな社の隣には李参平の磁器製座像が祀ってあります。神社の狛犬は親犬に子犬がじゃれつく珍しい意匠で、狛犬ファンを楽しませてくれます。
同じ境内の一角には、朝鮮と結びつきをしのばせる「高麗神」があります。

泉山磁石場

【陶祖 李参平碑】
陶山神社の駐車場から少し山道を歩き、長い階段を上がると有田焼創業300年を記念して建てられた「陶祖 李参平碑」があります。そこからは、山々の谷間にひしめくように窯場や町家が軒を並べる有田の町が一望でき、陶祖であるばかりでなくこの町そのものを興したともいえる李参平に対する、町の人の愛情が感じられるようです。

【観音山・祭礼廟】
有田には「山のぼり」という独特の遊びがあります。かつて皿山の職人達が仕事の気晴らしに観音山で酒宴を張ったもので、文化4年(1804年)には盛んになりすぎたこの週間をやめさせる禁止令まで出されています。観音山山頂には、渡来陶工金ヶ江三兵衛(李参平の日本名)・深海宋伝の祭礼廟もあり、朝鮮から渡来してきた陶工達は華やかな宴の中に遠く故郷を思い馳せていたのかもしれません。

【百婆仙の法塔】
観音山からの眺め 渡来陶工・深海宋伝は武雄市武内町内田で陶器を焼いていましたが、元和4年(1618年)死去。その妻百婆仙は寛永7年(1630年)、良質の陶器原料があるという有田碑古場に一族を引き連れて移動しました。百婆仙は多くの渡来陶工達から尊敬されながら明暦2年(1656年)96歳で亡くなり、今も報恩寺境内の「蔓了妙泰道婆之塔」に祀られ信仰を集めています。

百婆仙の法塔


(1)・・・泉山石場、石場神社、、李参平像
(2)・・・李参平の墓
(3)・・・報恩寺、観音山・祭礼廟、百婆仙の法塔



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