【ぶらリ散策】


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★散歩で
有田を歩くコース


泉山磁石場 磁石場下の「大公孫樹」から中の原・岩谷川内の「眼鏡橋」までは、平成3年(1991年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。自然豊かな山々に抱かれ窯場や町家が並ぶ内山地区は、江戸期には「有田千軒」と呼ばれるほど栄え、往時を思わせる史跡や遺構が今も数多く残っています。有田で磁器の歴史が始まったのは、17世紀初めに泉山でその原料となる陶石が発見されてから、散策のスタートもここからです。

【泉山磁石場】】

日本の磁器発祥の地有田の歴史はここから始まりました。陶祖・李参平が元和2年(1616年)に発見したといわれる日本最初の陶石(磁器の原料)採掘場は、現在は削りとられた白い岩肌を見せるばかりですが、最初は一つの山だったのです。大名諸侯の賞賛を浴び、ヨーロッパの人々を魅了した有田焼400年の歴史を支え続け、昭和55年に国の史跡に指定されました。

口屋番所跡(上の番所)

【口屋番所跡・大公孫樹】】
大公孫樹(高さ38m、根回り11.6m) 泉山磁石場を下ると口屋番所跡があり、その後方には、樹齢千年、国の天然記念物指定の大公孫樹(イチョウ)の姿が見えます。緩やかな坂を少し下ると、大樽の町家群。一体の町家は中の原や赤絵町の町家に比べると野口が四間ほど狭く、ほとんどの家が切妻造りの中二階建て。窯業関連の各種商品を取り扱う商人達が住んでいました。
【トンバイ塀のある裏通り】
大樽・上幸平の裏通りには、窯場や絵付け師の家々が門を構えています。宮内庁御用達のの窯元として知られる辻精磁社があるのも、この通りの一角。通りのそこかしこにある特徴的な土塀がトンバイ塀で、登り窯を解体した跡のレンガやトチン、ベンジャラなどの陶片を赤土で固めたものです。職人達のセンスが見え隠れするようで、磁器の町有田らしいリサイクルアートです。

【ちょっと一息】
世界初の陶磁器製からくり人形の上演(有料)する有田館には、青木龍山、井上蔓二、今泉今右衛門、酒井田柿右衛門の作品が展示されています。二階に上がると、有田焼のコーヒーカップ約400個がずらりと並び、さらに奥の喫茶コーナーでは、約100個の中から好きなカップを選べるコーヒーサービス(1杯100円)も。若い作家から有田が誇る名陶工の作品まで、どれにするか迷ってしまいます。
【異人館】
異人館 有田館そばの交差点のあたりが札の辻。日本で初めての会社組織を作った香蘭社の陳列館。左手の坂を上がっていくと陶山神社、右斜めに折れると明治9年(1876年)に建てられた異人館があります。当時の貿易商・田代助作が、陶磁器の買い付けにきた外国人の宿泊及び接客所として利用、有田の先進性と国際性を物語る建造物です。
【今右衛門窯・赤絵座】
有田焼独特の赤絵の技術の他に流出することを防ぐため、赤絵師達はこの場所に集められてきました。そのうちの一軒が今泉今右衛門で、二階窓下の瓦には、職人達が作業場から捨てた絵の具が、今も赤い染みを残しています。体験工房赤絵座では、皿や湯飲み、飯椀などに絵付け体験(1000円〜)。実際に筆をとり、作品を作ってみることで、有田焼にもっと近づけそうです。

【本陣跡】
泉山の上の番所に対し、中の原・岩谷川内には下の番所がありました。一帯の町家は、大樽、赤絵町に比べると、どっしりと大きく、江戸時代の焼き物商人達が住んでいました。有田随一の貿易商久富一族の屋敷のある一角を町の人々は「本陣」と呼んでいました。これは佐賀藩主が訪ねた際、そこに泊まったことから。現在は食事ができるようになっています。



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