【様式美(1)】

写真の作品はすべて佐賀県立九州陶磁文化館所蔵

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 長い世界の中で完成された有田焼は、一般的に古伊万里柿右衛門鍋島藩窯の三様式に分けられます。
 古伊万里様式には、染付、金欄手の作品が代表です。  柿右衛門様式は、日本画的な構造図や、乳白色の濁し(にごしで)の技法は独特の美しさでヨーロッパの陶磁器にも影響を与え、その伝統技法は国の重要無形文化財に指定されています。
 もう一つの鍋島藩窯様式は、藩主が使う食器や、大名、幕府への献上品としてつくられました。青みがかかった磁肌に描かれた色絵模様は格調高く気品あふれ、その技術を引き継ぐ、色鍋島技術保存会は国の重要無形文化財に指定されています。
 

        【古伊万里】
 古伊万里とは、伊万里の港から積み出されたことから、江戸時代の有田焼をはじめとする肥前磁器をさす語ですが、古伊万里様式といった場合、「金襴手」とよばれる有田の色絵の様式を意味しています。この様式は、江戸時代の元禄期(1688〜1704)に現れ、現代にも引き継がれている有田を代表する様式です。金襴手とは、金糸を織り込んだ刺繍をした高価な織物―「金襴」(きんらん)に似た手(タイプ)といった意味です。
 染付の色は濃く、さらに赤や金の絵の具を贅沢につかい、花文様などを器面いっぱいに描きこんだこの様式は、経済的に豊であった元禄時代の気風を反映したものと考えられてます。  全体的に装飾効果が高く、輸送されたヨーロッパで好まれ、現在でも大型の蓋付壷など多くの作品が、世界各地の博物館や城を飾っています。
 
 


          【柿右衛門】   
 
 有田でも最も有名な様式です。この様式も作品の多くがヨーロッパ輸出され、ドイツのマイセン窯をはじめ、ヨーロッパの陶磁器に影響を与えたことで高く評価されています。乳白色素地に,余白をいかした上絵付け(染付の青がない)で上品な絵文様が描かれています。薄く、端正につくられた器型でそのうちの多くが口に褐色の銹釉(さびゆう)が塗られています。素地は、米の砥ぎ汁の色にたとえられ、有田では研ぎ汁を「濁し(にごし)」と呼んでいます。
 江戸時代の1670年代から1690年代に、現在の柿右衛門窯がある南川原地区で生れた様式として考えられています。この様式はこの後、元禄時代に流行する金襴手におされたのか作られなくなりました。昭和28年に12代、13代の酒井田柿右衛門氏が濁手を復活させ、現在にいたっています。
   
 


         【鍋島】

 佐賀鍋島家の贈答用や自家用に作られた製品は、藩の御用窯で製作されました。この御用窯で製作された作品は「鍋島」とよばれ、世界的にも高く評価されています。贈答品として求められたことから、完成度の高い、格調のある製品が製作されました。
 御用窯は寛永年間(1624〜44年)に岩田谷川内(有田)に設置され、寛文年間(1661〜1673年)に南川原(有田)に移り、円宝年間(1673年〜1680年)に大川内(伊万里市)に移ったと考えられています。
 「鍋島」には青磁や染付もありましたが、中でも上絵の色ともなった作品は「色鍋島」とよばれています。色鍋島の装飾は染付の青と、上絵の赤、緑、黄色の四色を基本としています。
 赤絵町の今泉家は、江戸時代の後期に大川内の藩窯の製品の上付けを用命されました。このことから現在の有田にもこの様式が受け継がれているのです。
 




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